ピエモンテのワインは食事あってこそのおいしくなるワイン。
ということで、ランゲ・ロエロ地区の郷土料理もご紹介します。
実際に食べていただくのいいのですが、、、皆さんがピエモンテへ来られた際のお楽しみ。
今回はちょっとした食文化の歴史とピエモンテ人がよく食べる前菜のご紹介です。
1862年、イタリアを初めて統一したサヴォイア家は1700年代よりトリノを首都としてきました。 そしてトリノに住む貴族の食卓を支えたのが、このランゲ・ロエロ地区。 この地は狩猟地帯で、貧しい農民達が畑を耕し、ワインやヘーゼルナッツ、野菜をトリノの貴族に納め生活をしていました。
経済的に貧しいこの地の食事はPIATTO POVERO (貧しい食事)と貴族から呼ばれていましたが、実は食の宝庫。
この地区の中でまた小さく、フルーツの村、野菜の村、狩猟・肉の村、キノコの村、チーズの村と細かく分かれていきます。トリノへ納めた作物以外は地区の中心であるアルバの市場に持ち寄り、食材が入り混じり、ランガ・ロエロ地区は常においしい食材で溢れていたそうです。
その貧しさが生んだ食文化PIATTO POVEROは現在では食材の味を活かしたやさしいマンマの料理。
LOWコストで仕上がる最高の料理です。
野菜やチーズ、お肉をたっぷりとつかった料理が多い中、なぜかアンチョビ(魚の塩漬け)もピエモンテの定番前菜。
魚が?なぜ?
答は、17世紀のサヴォイア公爵家に海を持たず、塩の入手に戸惑っていたサヴォイア家。魚より、塩の取引のほうが高かった当時、リグーリア国に魚の取引を申し出ました。腐らせないようにたっぷりの塩に付けられた魚はランガの丘を越えたサヴォイア領土へ入ってきたそうです。
商人の目的は魚ではなく、塩。ということで、荷を軽くするため、このランガ・ロエロ地区で魚は除かれ、商人は塩のみをトリノへ届けたそうです。取り除かれた魚はといいますと。貧しい農家に渡され、郷土料理へと変わっていきました。
その典型的な例が、バーニャカウダ。とれたての野菜にニンニクとアンチョビの塩漬けを煮込んだソース。野菜とにんにくは自給自足のもの、そしてアンチョビは商人が置いていったもの。
またパプリカのローストにのせたり、チーズにあわせたり、海のないピエモンテで不思議にもアンチョビが郷土料理として民に親しまれたのです。
郷土料理は出来上がる歴史に常に寄り添っていたのが、この地で生まれるワイン。
難しく考えなくても、自然と合ってくるのは当然なんだと思います。
毎日食べるピエモンテ野菜料理には、毎日の気さくなドルチェットワインのように。
(2013.10.25 難波 恭子)