ピエモンテ・ロエロ地区の土着品種アルネイス種。2005年にDOCGに昇格をし日本でも少し知られるようになりました。今回はこのアルネイス種にまつわるちょっとした小話をご紹介。
このアルネイス種は1950年代までは非常に軽視されていました。黒ブドウより早く熟すアルネイスはネッビオーロの樹の間に植え、害虫からネッビオーロを守るためのおとりのブドウであり、ネッビオーロが収穫と同時に収穫され、アルコール度数の低い、甘口テーブルワインにされてました。
ロエロ地区がバローロやバルバレスコのようにロエロのアイデンティティであるネッビオーロを盛り上げたいと動き出したのは1960年代のこと、自分たちの土地に誇りを持ち始めた若い造り手たちの情熱によって、ロエロのワインはネッビオーロだけでなく、アルネイスやバルベーラもどんどん進化してゆきます。
CLUB 3P(Provare・Produrre・Progredire)
試みること・生産すること・進歩することをモットーにした若い造り手のグループが軽視されていたアルネイスに革命をもたらしました。先代の父親たちに反対されながらも色々な思考錯誤が成されたそうです。お互いブドウを持ち寄り、多種の樽で熟成をさせて、どの樽がいいのか、またマセラシオンの方法を変えてみたりと。初めは全く飲めるものではなかったそうですが、彼等の努力と諦めない情熱により、辛口のアルネイスがうまれました。
アルネイスだけでなく、ネッビオーロやバルベーラも同じようにこの3Pによって改良されてきました。当時3Pによって生み出されたワインは、自分たちの情熱に敬意を払う意味を込めて、ワイナリーの名前ではなく、CLUB3Pのラベルを貼っていたそうです。このラベルは1960年後半のもの。CLUB 3Pに所属をしていたBruno Franco氏の名前がCLUB 3Pの下に入っています。
この3Pの情熱により、1971年、はじめて自分たちの納得のいく辛口アルネイスワインができたそうです。その際も彼らは3Pのラベルを貼って世間に公表しました。
3Pによって生まれ初めてつくられた辛口アルネイスワイン。その後は単一で醸造されるようになり、栽培もネッビオーロの片隅ではなくアルネイス種のみの畑ができるようになり、2005年についにDOCGRoeroArneisに昇格しました。
若いと呼ばれたこの作り手のグループも時代が変わり、現在ではもういいおじいちゃん。その後、このグループはなくなってしましたが、各ワイナリーで単一畑で醸造されたり、樽熟成をさせてみたりとどんどん進化を見せています。
ネッビオーロの影に隠れていたアルネイスのおいしさを信じた当時の若い造り手たちのアルネイス革命。この話しを聞かせてくれたフランコおじいちゃんは今年で71歳。でもまだまだ現役です。当時の話を本当に楽しそうにきかせてくれました。「ワインは自分の青春で今もまだ青春は続いている!!」そうです。
ロエロの土から生まれるアルネイスはどう進化していくのか、たのしみですね。